バブル期の建物
バブル期の建物
(オーナーズビジョン 5月号投稿)
バブル景気自体は、1986年(昭和61年)12月から1991 年(平成3年)2月までの51か月間と言われております。その時期に北海道でも数多くの建物が建てられました。代表的な藻は洞爺湖町のエイペックスや茨戸のホテルテルメ、ススキノのキングムーなどが建設され、経営者は変わっていますが現在も稼働しております。逆に閉鎖された施設群もあり、ほとんどはテーマパークですがグリュク王国(帯広市 開園1989年、閉園2003年)、カバディアンワールド (芦別市 開園1990年、閉園97年)などが思いあたります。
住居系では、藻岩山に麓のカブトデコムで建設されたピンク色の外壁が特徴のマンションでしょうか。また分譲や賃貸マンションも大量に建てられた時代でもありました。そしてこれらを建てる、ゼネコン、工務店は公共事業も多く発注されゼネコンや工務店は仕事を断るのほど仕事量があった時代です。RC造で設計されても、型枠大工、鉄筋工の手配が出来ないなど職人を集めることができないとの理由で、鉄骨造で設計をやり直す例も多々ありました。
よって賃貸マンションでも鉄骨造は結露が発生してしまうリスクがありますが、変更をせざる得ない場合も発生するほどでした。数多くある公共事業と民間建設の発注において、民間建設はほとんどが特命での受注ですので、仕事をこなせばこなすほど利益が入ってきますので、多少の無理や突貫工事で数多くの工事を竣工させていきました。よって多くの仕事があるが、現場監督は複数の掛け持ちで、職人任せの工事現場になってしまうのは必然でありました。同時に職人事情も悪く、猫の手も借りたい時期でしたので、現場事務所に札束を置いて、作業終了時に手渡しをしていた時代であります。
それほど人手が足りない時代でした。その結果、職人の単価もよくて、現在では募集してもなかなか入らなく、魅力のないあ建設業界なのですが、バブル期は若い人材もどんどん建設業に入ってきましたので、未熟な職人が工事現場に携わっており、若く、経験の少ない職人が難易度の高い建設現場に従事しておりました。大手ゼネコンですら、品質を追求するのは当たり前なのですが、仕事をこなすだけで目一杯なのと、工程管理だけが最優先になってしまうくらいですので、工務店クラスになると、更に品質の悪い建物が建設されたのではないかと思います。
バブル崩壊から約26年が経ち、大・中規模の改修工事の2度目の改修工事のサイクル域で大きな改修金額がかかる賃貸マンションが市中に出初めています。(低金利を追い風に、投資家が築古物件の投資対象に、バブル期の建設を買い求めておりますが)、破格に安い建物であっても、意外に改修費用にお金がかかる場合もありますので、取得の際には、修繕履歴の提示や、インスペクションも含めた総合的な判断の基に取得していかなければなりません。また、昨今の札幌市内でのバブルを彷彿されるような賃貸マンションの建設ラッシュですが、慢性的な職人不足と経験豊富な現場監督の不足と同時に、利回りを良くするために、建設費を圧縮するために人件費や現場管理費を最小限に抑え、現場の管理がおろそかになっている工事現場もあります。
このような建物は品質すなわち寿命にも大きく左右されてしまいますので、20年後には、バブル時代の建設された建物と同じような現象が間違いなく到来するかと思います。